以前の記事ではコロナ封鎖になって良かったことを考えてみて、その一つに61話で食料買い出し時の良くなった点を書きました。これは私が食料のまとめ買いをするようになり時間の節約になっているし、店内での人数制限があるので買い物が快適になったというものでした。

今日は、今まで買い物時に「煩わしいな」と思っていたあることが解決していることに最近気がついたのでその追記したいと思います。

そのあることとは「物乞い」されなくなったということなのですが・・・

北イタリアはイタリアの中では裕福層が住んでいるせいなのか(イタリアは南北で収入格差があります)、私たちの住んでいるエリアでは、ほぼどこのスーパーにも「物乞い」の人たちがいます。そして、各人のテリトリーの店があるようです(汗)。

彼らはお店の駐車場のカート置き場の付近に待機しており、こちらでは買い物時に使うカートを借りるのにコイン(50セント/1ユーロ/2ユーロのどれか)が必要になるので、「物乞いさん」はそのカート返却時のコインを狙うのが基本となっています。問題は、この「物乞いさん」達がものすごく積極的なこと・・・かなり近づいて話しかけてきます。あきらめてくれることを願って、私はイタリア語が分からないというと、身振り手振りでの自己アピールをされることも多々あります(汗)。

彼らの上等手段は、客が買い物した物を車に乗せ終わった時に近づき、カートを元の場所に戻す代わりにカートのコインをもらうことです。この方法だと結構な人が彼らにお金を渡している様子で、繁盛しているお店にいる物乞いさんはかなりの時給になると思われます(汗)。私は、この積極的な「物乞いさんたち」に声をかけられるのがとても憂鬱だし、稀に身の危険を感じるくらいしつこい人もいて、嫌な「物乞いさん」が理由でいかなくなった店もあったりします(汗)。

私の友人のとてもとても心の優しい人の話なんですが、彼はいつも行くスーパーでポケットに入っているだけのコインを毎回同じ「物乞いさん」にあげていました。

でもある日、いつものようにポケットのコインをあげたら

・・・全部で一ユーロ(120円)くらいしかなく・・・

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コインのはした金では満足せず、紙幣(5ユーロから)を要求されたという

・・・えっと

厚かましすぎるのにもほどがありませんか?(汗)

このように、一度お金を渡すと顔を覚えられ毎回期待されるということもあるので、私は話しかけられないように、できるだけ目を合わないようにしています(汗)

・・・でも、心のどこかでは「無視をし続けている自分」がドケチで(これはあってるかも。笑)、また弱い人に手を差し伸べない心の冷たい人だと思えたりもするので、そんな自分にモヤモヤしてしまいます(汗)。彼らは社会の弱者で、誰も望んでそんな生活をしているわけではないでしょうし、何が彼らに対しての正解の対処かわかりません。実際のところ、お金をあげても、それがすぐにクスリ代に消えるという話も聞きますしね(薬局で買える薬ではないクスリです。汗)

ということで、私にとってこの封鎖下での良かったこととして「物乞いさん達」が町から消えたということが思い浮かびました(汗)。 今は、スーパーの駐車場で心をザワザワさせなくていいので、助かっています!

また2月下旬にコロナが北イタリアで流行りだして自粛となった時の話なんですが、私がスーパーに行った時、いつもの「物乞いさん」がやはりカート置き場でお仕事(?)をしていました。普段は、果敢に私に話しかけてくるのに、その時は「アジア人の私」を見て、さっと裏に隠れられたんですよね(爆)。今までは私が近寄られて嫌だったのが、逆に私の顔を見て逃げられたので、ちょっと

「コロナも悪くないじゃん」

と思ってしまったものです(完全コロナ人種差別ですけどね。汗)

今後、他の場所で「アジア人だから」という理由で差別されるのは困りますが、「物乞いの人たち」に避けられるのは大歓迎だなと思いました。

今日はちょっとコロナ禍で起きた「ダークな面」での私にとって良いことでした。

以上です。